ほりのぶろぐ

よしなしごとを書いていきます。(プログラミング、文学、etc.)

webサーバーに残っていた謎アクセスログについて簡単に調べてみた

 

 こんにちは。

 こちら、ほぼほぼ個人的備忘です。

 

 実は当方、こちらのブログとは別名義にてとあるwebサーバの運営をしているのですが、ついさっきアクセスログを確認してみたところ、使っていないはずのhttpポートへのアクセスがあったので、勉強がてら調査してみました(普段はhttpsプロトコルを使用して、自作掲示板や仮想通貨の自動売買の結果などを表示しています)。

※使用OSはRHEL系のLinux

 

 ファイルの出力は以下のような感じ。

図1. ログ出力dirのファイルたち

 クローラ等、ボットからのアクセスを疑ったけれど、にしては頻度が高いようにも思えます。

 何者だ?

 

 余り詳しくは公開できないけれど、直近のログは以下のような感じ。当然身に覚えのないipからのアクセスばかり。

 赤枠部は如何にもボットによるログだが、他もクローラやセキュリティスキャナの残していったログが大部だと思います。(不正アクセスしようとしてる雰囲気のログもあるね!)

図2. 直近のアクセスログ

(ちなみに、セキュア側のアクセスログもおおむね似たり寄ったりだった。ユーザーからの通常のアクセスがあったり、認証系のログも出力している関係から、スクショ掲載は差し控えたい)

 

 それと、念のため、悪意あるアクセス履歴がないかも確認してみました。

 ここでは参考として、ログ出力dirで下記のようにコマンド実行し、DB関係の怪しいログを調査。

 

# less -q * | grep -i maria

 

 と、不穏なログがいっぱい出る出るΣ(・□・;)

 けど、セキュリティ上の懸念からこちらの掲載も差し控えます。

 ざっくり説明すると、envファイルやDB確認用webツールのパスを探したりしているようでした。特に後者についてはデフォルト設定は避けた方が良いことがよくわかった。

 

 また、当webサイト、ウェブアーカイバにもアーカイブされているようだったので、どんなアクセスログが残っているのか純粋な技術的興味で見てみようとしたのですが……ログのローテーションで消えていました😢

 ローテの期間をチューニングした方がよさそうですね。

図3. ウェブアーカイバでの検索結果

結論

 デフォルト設定は可能な限り避けるべき

 

 しかし、最近になってアクセスが増えたのは何故だろう……これについては謎のママです。まだまだ調査が甘い感は否めませんが、これ以上続ける元気もやる気もないので放置。

 あと、最初に述べた仮想通貨自動売買についても、時間があれば取り上げたいと思います。が、こちらもやる気欠乏につきいつやるかは謎。チャートや分析の結果は自動出力して保存してあるので、それだけでも簡単にお目にかけるかもしれません。

 

でハ又。ノシ

 

映画『オッペンハイマー』の感想(※ネタバレ無し)

 
 かねがね話頭にのぼることの多かったクリストファー・ノーラン監督の新作映画『オッペンハイマー』であるが、半年余に亘る歯痒い日延べの期間を経て漸く昨日(令和6年3月29日)本邦でも公開された。斯く言う私も切歯して待った身だが、つい今しがた宿願果たし観了えてきたところである。論評など高尚なことはできないけれど、鑑賞後の余韻の冷めやらぬうちに素直な感想を書き留めておきたい。
 
 はじめに、本記事の題に"ネタバレ無し"なる文句を付したが、周知のとおり本作は史実を基にした映画であるから、"ネタバレ"という語はここでは些か不適当かもしれない。ただ、当方不勉強ながら件の科学者に関する知識に乏しく、斯様な己の無知に乗じる形で、願わくは本作をフィクションに対するときのように鑑賞できはしないかと欲した怠惰の手合いであるから、私と思惑を同じうする人らに忖度してこのように題した次第である。またここにはちょっと警告の意味も込めている。と言うのも、私は既に鑑賞し了えた今更になって己の浅慮さを悔いているからだ。然しものノーランと言うべきか、私のように無知な観客に斟酌するほど親切な彼ではなかった。
 第一に、本作は登場人物が多い。トルストイなどの海外文学に触れた経験の持ち主なら大いに共感するところと思うが、異邦の人々に大挙されると、一人一人の名前を覚えるのが精いっぱいで、凡そお話の筋を追うどころではなくなってしまう。本作のプロットは会話劇を中心とする人間関係の交錯をベースに進行するのであるが、このとき、大戦史の大まかな趨勢をはじめとする歴史的要所の了解はもとより、重要人物の基本的プロファイルが頭になければ、各々がいったい如何なる行動原理に基づいて立ち居振る舞っているのか、忽ち模糊として掴み難くなってしまう。最低でもマンハッタン計画に参与した重要人物たちの簡単な相関は予め浚っておくべきであろう。
 
 "ネタバレ"と言われぬ程度に、映画の内容にも少し触れておきたい。
 如上にも述べたとおり、本作は全編を通して会話劇のテイストで淡々と進行する。ノーラン流の劇伴の過剰が少しくこの退屈を紛らわせてはくれるが、劇場の大音響でなかったなら私はこの三時間弱に及ぶ映画を離席を挟まずに観果せることができたか甚だ怪しい。ただし、この淡々とした場面の連なりが、決定されている彼の大破壊へ向けて静かな熱狂を確かに涵養しており、殆どエクスタシーとさえ呼べる中盤のクライマックスは、それこそ「悪魔の解放」を感じさせるに充分であった。そこにあるのは、単なる衝動的解放ではなく、我々日本人をしてさえ覚えさせる不埒な期待であり、即ち、実際に当時の科学者らが感じたであろう倫理を飛び越えたキュリオスの残酷さの片鱗であった。
 他方、敢えてひとつ苦言を呈するとすれば、トリニティ実験のシーンはノーランの流儀に倣い、例によって実写で撮られたのであろうが(未確認)、ここは素直にCGに頼るべきだったろうと、個人的には思う。とはいえ、このときの、"ボタン"を押すまでの秒読みのシーンは、その瞬間瞬間、刮目する我々観客に、尋常信じ難い人間の理性だとか倫理だとかを超えた、何か禍々しい怪物の存在を確信させるには充分であった。これを体験するためだけに、本作を鑑賞する価値はあるだろう。
 
 原子爆弾という大きなモチーフの他にも、本作に於ける細部の丹念さには水際立つものがあった。
 「ロスアラモス」や「トリニティ」といった短いワードを、それらの言葉の持つ歴史的重みに仮託させて、ある種パンチラインのように用いるやり方や、青年時代のオッペンハイマーの視線を通じ、彼の学問的背景をキュビズム等々の諸芸術と結びつけ多層的な含みを持たせる演出、また、例えば「二人の子供」といった機知に富む言葉選びなど、文学的意匠とさえ呼べる繊細な趣味のあることが好印象であった。今や早映画界の大家と呼ばれて久しいノーラン監督の手腕の為せる業であろう。こうした丹念さは、屡々ノーランの弱点とされる無闇に難解な表現をも、意義あるスタイルと呼ぶに能うレベルまで昇華させることに成功していたと思う。
 
 本作には、多くの伝記映画の多分に漏れず、お話のプロットそのものに対して云々するのがどれだけ妥当であるのか、中々判じがたいところがある。むろん、歴史考証を度外視し、各登場人物の言動や細かな時系列など、脚色を施している箇所は大小あるのだろうが、その大小を測ることは哀しいかな私自身の素養の疎漏故に叶わない(況や作中で示されたオッペンハイマー個人の言動への批判おや)。したがって、本作のプロット面の出来不出来に批評を加えることが、どれだけ正当であるのか、私には分からない。如上までの感想を読むに、些細な事柄への印象論的言及ばかりで、映画全体への分析眼が塞がれているといった指摘があるかもしれないが、そのような言については甘受する他ない。
 
 本邦に於いて、上映が見合された関係の事柄にも少しは触れておくべきか。斯様な問題は私には少々煩わしいので、余り深入りしたくはないのであるが、一介の日本人としては一言しておくことが自国の歴史に対する誠意というものであろう(ただし、本作を原爆投下の是非を描くことに終始した映画であると判じてしまうのでは、大きな誤謬を導くだろう)。
 本作は極めて緊張した倫理的要素を含んでいるから、直接的な原爆描写というよりは、そういったセンチメンタルな面に於いて、日本人の神経を逆撫でしてしまうのではという懸念が出たとしても、それは無理からぬことである。しかし、(良くも悪くも)もはや当事者としての意識の薄れつつある大部の日本人にとっては、このセンチメンタルな面は寧ろ主人公たるオッペンハイマーへの共感に向けられるというのが実際のところではないか。一方で、「原爆の父」というフレーズの魔性は今以って生きているから、創作の世界ではいはゆる"セカイケイ"なる言葉で表される個人対世界という構図の実際的表象として彼を見做し、ひいてはそこに自己自身を投影し、本来なら途方もない世界という巨大な主体に、その運命に、直接的に参与したいという僭上な幻想をむらつかせている人々が、日本に於いてさえ数多存しているはずだ。原爆開発をメインモチーフに添えた本作と雖も、私はこのような次元から、映画『オッペンハイマー』を捉え評価したい。
 事実、ノーラン監督にしても、個人の運命を、合衆国の運命、もとい全人類の運命にまで押し拡げて語ろうとする意図のあったことは、オッペンハイマーアインシュタインの遣り取りのシーンからも明らかである(これは当て推量に過ぎないが、もしかするとノーラン監督自身、対象物は違えどロスアラモスの科学者たちと似て何ものかを創造する己の仕事に、彼らのそれとの同類項を見出していたのかもしれない)。
 そう思って見ると、本作のエピグラフに添えられていたプロメテウスの神話に関する一節が、我々ひとりひとりに通ずる、何か不吉な予言のように、私には思えてならない。そしてその予言は、未だに為されていないようにも……
 
 以上、本作の鑑賞に際し、差し当たって私の頭に去来した諸々ことのあらましは述べ果せた。
 映画を鑑賞し終えた直後のあの微妙な感銘の鮮度を落とさぬ内に、と、草稿を起こすつもりで、筆の進むのに任せて色々と書き散らしはしたが、矢張りとめもないものになってしまった。
 が、これはこれとして、ひとつの記録として、ここに残しておくことにしよう。
 
 さて、擱筆したところで、早速パンフレットの方も読んでみようか。

映画『オッペンハイマー』のパンフレット(表紙)
でハ又。ノシ
 
 
補遺
 ところで、本作には多くの高名な科学者が登場するが、私にはゲーデルの登場シーンが殊に印象深く心に残った。
 彼の人生やその業績についても、いつか本ブログで触れてみたいものである。
 

初投稿

 

 いはゆる"生産的"なるものを企図したのではありません。ただ、日毎の書き物の習慣が嵩じた結果を、何らかの形で公にしたいと思いついたまでです。定まったマニュフェストはありませんが、スタイルは自ずと顕れてくると自恃しています。

 気取った文章ではありますが、ブログなんぞを物する手前、気取らないというのは寧ろ不誠実でありまして、そのような自己矛盾を敢えて冒すほど果敢な私ではありません。

 更新は不定期です。

 

でハ又。ノシ